714円の愛国運動―「ヨット右翼」が日本を救ふ

云ひたいことは云ふ、しかし金は出さない。一円たりとも身銭は切らない。相手が政府ともなれば、ここぞとばかりに大声を張り上げる。

他人の金遣いには五月蠅く、自分は浪費家である。
他人の失敗には厳しく、自分には甘い。
他人の苦労は偽物で、自分の苦労は本物だ。

権威は否定するが、自分が権威と呼ばれることは欲してゐる。
経験は理論に勝ると信じて、他人の意見を採り入れない。
目下には横柄で、目上には媚びる。
肩書きが好きだ。

斯様な人々が今、国の中枢にゐる。我々の身の回りにゐる。そこにもここにも、現実に対する適応力を欠いた自分を誤魔化す為に、必死になつて何者かを演じてゐる。
それは親かもしれない、教師かもしれない。
先輩かも、友人かもしれない。

彼等には、わざわざ電車賃を使つてまで書店をハシゴした人の気持ちは分からないだらう。何の為に、誰の為に、それで何の得をするの?

損得でしかものを考へられない人は、予想以上に多いものである。自分の意見を強く主張してゐた人が、その実行にはお金が掛かると知ると、途端に尻込みする場合が多い。コメンテーターなる人種がその典型である。大きなことは云ふが、一円たりとも自分の金は使はない。「庶民が、庶民が」と宣うだけで、自分は高額所得者にまで成り上がれるのだから、財布は何時も温かい。それを少しでも冷やす気は毛頭ないのである。

一冊714円の新書が、世の中を動かした。人が動き、物が動き、お金が動いて、活気が漲つた。爽やかな風が吹いた。「定額給付金12000円で、何が景気対策だ!」とヤジを飛ばしてゐた野党議員は、この現象を何と見るか。

新聞各紙が渋々取り上げた。曰く「何故売れたのか、購入者も不明で……」。何時から新聞社は、新書売上げの購入者まで知り得るネットワークを持つてゐたのか。どうしても「黒幕」を捜したいらしい、御苦労様である。

幾ら煽つても、「中身の無い本など誰も買はない」のである。もし読後感が悪ければ、劇的に「祭り」は収束する。日当を払つてサクラを雇つても、こんな大きな動きにはならない。まさに『とてつもない日本』にある通り、日本人の持つソフトパワー、「工夫する気持ち」の凄まじさが、ここでも発揮されたのである。


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国籍不明の書き間違ひが、時に爆笑を誘ふ。レッテル貼りに日夜従事してゐる「職業的書き込み人」、通称「工作員」がしばしば名作を残してくれる。

「ネット右翼」なる珍妙なレッテルを貼つて、相手を侮辱したつもりの御仁が、勢ひ余つて「ヨット右翼」と書ひてしまつたらしい。さて、そこから怒濤の反抗が始まつた。「ニット右翼」「メット右翼」「ポッド右翼」「もっと右翼」等々、瞬く間に無数のバリエーションが発案された。その解説サイトも設けられた。その間、一体何艘のヨットが、書き込みの波間を往来したことか。

また、一桁異なる二階氏と小沢氏の献金額を、対数目盛で比較して、「余り差がない」と揶揄したグラフも、ホンの数日で山のやうな変形版が作られた。更に目盛を工夫したもの、立体化したもの、斜めにズラしたもの、螺旋状に巻き附けたもの、実に様々なグラフが登場した。

彼等は、そこで自身の著作権を主張するわけでもなく、無断複製禁止と叫ぶわけでもない。何の見返りも無い状態で、何処かで誰かが笑つてくれる、ただそのことだけを期待して「作品」を提供してゐる。自作が引用され、改良されることを楽しんでゐる。

ここに実は大変重要なヒントが隠されてゐる。
他人の喜びを我が喜びとする為に、工夫を凝らすといふ精神である。この感覚が分からない人が、今回のやうなイベントに懐疑の目を向けるのである。

日本のソフトパワーの原点がここにある。これまでも日本人の工夫好き、とことん突き詰める努力が、世界の物作りを革新してきた。

巷間云はれる所の、「日本人には創造性が無い」は根拠の無い全くのデマ、マスコミ主導の捏造である。改造は出来ても、根本的な発明・発見は苦手である、といふのも嘘である。分野ごとに多少の得手不得手があるのは、当り前の話であり、それを指して「日本人は云々」などと主張するのは、誠に愚かな行為である。

仮にそのやうな民族性なら、基礎科学の成果であるノーベル賞や、創造性だけが問題視される純粋数学の分野で一流の結果を残せるはずがない。総合的な物作り、まさにその集大成である自動車産業で世界一になれるはずがない。


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悪戯好きな若者が、やがて工夫好きな社会人になり、その結果、視野の広い指導者にまで成長する。「所詮は遊びだ」などと余計なお節介して頂かなくとも結構である。

「一発屋ではダメだ、プロならコンスタントに仕事する」と云はれた所で、怯む必要は無い。一発目が無ければ二発目は無いのであるから。

「基礎が無い奴はダメだ」と嘆かれたとしても、何が基礎であるかは、数多くの実践の果てにしか分からないものである。確かに基礎こそが本質である、そして、さうであるからこそ、基礎の習得ばかりに熱心になると、その基礎すら会得出来なくなるのである。

我々は、「他人の笑顔」の為に働けるといふ素晴らしい特質を持つてゐる。工夫を美徳として、手を抜かない気性を持つてゐる。ネット世界の趣味人達が、本人達も意識しないままに、次代の日本文化の礎となつてゐる。縦にも横にも書ける日本語は、遂に絵文字までも吸収し、究極の表意文字となつた。ただ駄洒落を云ふ為にだけ、個人が動画を製作配信してゐる。一世代前の人間には、想像も出来ない世界が拡がつてゐる。

このことを、我が国の政治家の中で唯一人理解してゐるのが麻生首相である。首相を支へる為にと、多くの人達がこんなにも工夫を凝らしたのは、互ひに気脈が通じたからである。この点の理解無くしては、「麻生祭り」の本質には決して迫れない。

「笑顔を輸出する大国」として、世界が日本を認める日も近い。
好い国で生まれて、好い国で死ぬ。そこに多くの人々の笑顔を残して、静かにさり気なく一生を全うする。それが新世紀日本の愛国精神である。我々の平凡な日々の営みが直接、世界の平和に貢献する、そんな時代が訪れやうとしてゐる。

我々は千年を越へる昔から、ごく普通の国民が文字を読み、「遊ぶ」ことの意味を知つてゐた。この「とてつもない伝統」を活かすも殺すも、悪意の悲観論を垂れ流すマスコミと断固として決別し、それに与する「不逞の輩」「曲学阿世の徒」と絶縁することから始まる。その為の基礎教養の書が、『とてつもない日本』なのである。
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JIF-情報統括

Author:JIF-情報統括
すべての拉致被害者の
 生存と救出を祈って…

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